ラージン領主直営地テロッゾより東。険しい山の中腹。そこに、女子供だけしかいないイペ族の集落はあった。 石造の家も以前より増えたが、未だにほとんどの家が木造であり、燃料も石炭ではなく、周辺の木を切って使っている。
食うに困るほどではないが、決して豊かではない集落。
グリゴリは数年ぶりに故郷を訪れていた。
集落のみすぼらしくも懐かしい様子に、少しだけ目を細める。
家々の間をゆっくりと馬に乗ったまま通ると、見知った顔の集落の女達は黙って道を開け、子供の背を押して家の中に入れ、物陰からひそひそと何事か囁き合っている。 イペ族は被差別種族ではないが、平民しか存在しない。
領主に嫁いだ母と、養子になったグリゴリは特殊な存在だ。 さらにグリゴリの普段の素行があまり良くない事も、おそらくこの集落には伝わっているだろう。
遠巻きにされる事は予想していたが、グリゴリは妙な違和感を感じていた。
一人の妊婦を見かけた時に、その違和感の正体に気付く。
イペ族の女は再形成を子宮で行う。
それにより収入を得ているため、この集落は妊婦のような腹をした女が非常に多かったのだが、それがほとんど見当たらない。
再形成の対象で一番多いものはエンブリオだったが、ネクターが手に入らない現在はそれが行えないのだろう。
集落の一番奥、比較的立派な家の前で馬を降りる。
一応ノックをしようとして、この集落にはそのような習慣が無かった事を思い出す。
グリゴリは、特に感慨も無く生家の戸を引いた。
中には一人の老婆がいた。 グリゴリの祖母であり、オリガの母であり、イペ族族長のゾーヤだ。
ゾーヤはオリガが領主に嫁ぐ事に最後まで反対していた。
しかし、彼女とオリガの親子仲は元々良好という訳でもなく、激しい口論の末に絶縁していた。
ゾーヤの言葉に思わず顔を上げる。
故郷に未練は無かったが、密に連絡を取っていれば妊娠中にネクターが足りなくなった事態の事も把握できたかもしれない。 そう思うと、グリゴリも自らの過去の薄情さを恨めしく感じずにはいられなかった。
ゾーヤは何度も小さく頷いた後、思い出したようにぎろりとグリゴリの方を睨む
少し安心したように頷く。
グリゴリの言葉に、ゾーヤは息を呑む。
老人らしからぬ現実的な物の見方に少し失笑を漏らし、グリゴリは続ける。
イペ族の年老いた女性は占いを得意とする。ゾーヤもまた例外ではない。 それどころか、集落で一番の占い師と言っても過言では無かった。
ゾーヤは立ち上がると、木製の箱を奥から持ってきた。
中から大きな盆を出し、それに文様の描かれた狐の頭蓋骨を置き、色の濃淡や大きさにバラつきのある、不透明な浅葱色のガラス玉をざらざらと入れる。
その上から水を注ぎ入れ、頭蓋骨の眼窩から、鈍く黄金に輝く、魔力を帯びた鉱石を入れる。
そうして、小箱から薄い八角形の青く透き通った輝く石を取り出す。
石は側面こそその輝きを見せているが、両面には錆びた金属が貼り付けられており、それぞれ違った絵柄が刻印されている。
古いコインのように見えるそれこそ、《メルンストゥーラ》だ。
《黄金郷カダイエ》へ続く扉を開く鍵という伝説と共に、占いの道具として広く伝わっている。
オリジナルは、裏表で意味の違う12枚の種類と、裏表の存在しない特別なコインで一揃えとなっているらしいが、オリジナルと伝えられるものは、探せば各地にいくらでも存在しており、その真偽を確かめる事はできない。 ゾーヤは右手でコインを投げ、左手で受け取る。
それを両手で口元に寄せ、何事か囁きかける。
狐の頭蓋骨に向かってコインを縦に持ち、横方向にをはじく。
コインは回転しながら、頭蓋骨の上を小さな円の軌道を描いて回る。
メルンストゥーラを用いた占いは各地で多少の差異が見られるが、イペ族ではコイン以外の物も用いて占いを行う。
これが倒れた方向がコインの裏か表か、また、どこで倒れたのかで占いの結果を詳細に出す。
コインは徐々に姿勢を崩し、骨の上から勢い良く滑り落ち、ガラス玉にぶつかって跳ね返り、頭蓋骨の眼窩に入ってしまった。
ゾーヤが頭蓋骨をずらすと、コインは中の魔鉱石の割れ目に、やや表を上にして垂直に近い斜めの状態で収まっていた。
グリゴリも、幼い頃からこの占いを何度も見ていたが、この様な結果を見たのは初めてだった。
大抵の場合は頭蓋骨の上か、ガラス玉の上でコインは表か裏に倒れる。 何も言わずにゾーヤの方を見て言葉を促す。
ゾーヤは、信じられないというようにゆるく頭を振る。
ゾーヤの言葉に、グリゴリは心底嬉しそうに、ふ、と笑みを浮かべ、大きく両手を広げる。
ゾーヤは何も言わずに、狂ったように笑うグリゴリを見ていた。
既にグリゴリは失っている。一番大切なものを。 それに気付いていないのか、気付いていない振りをしているのか確認する気は起きなかった。
問にぴたりと笑う事をやめ、当然といった様子で答える。
ゾーヤはしばしグリゴリを見つめていたが、長い溜息を吐いた。
ドミトリー。グリゴリの実父の名。
グリゴリはコインを受け取り、踵を返す。
戸に手をかけた時に、ゾーヤがぽつりと呟く。
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