20日目

フョードルは朝夕とグリゴリの傍に寄り添い、稀に、ふらふらと外に出かけた。
グリゴリから片時も離れたくないが、グリゴリのために何かをせずにはいられないのだ。
今までのような小振りのエンブリオの姿の時もあれば、大男程はある泥人形の姿の時もあった。


フョードルは死という概念を理解していた。
母親は、自分を産む時に命を落としたと聞いている。
死というものは生きていた人がいなくなる事、そう、グリゴリから聞いている。

つまり、今、グリゴリはいなくなろうとしている。
血溜まりに一人で倒れていたグリゴリは、フョードルにはひどく寂しいものに見えた。
一人ぼっちでいるのに、自分以外の誰もその事に気が付いていない、そんな気がした。


それがどうしようもなく悲しくて、泥人形は、何度目かの涙を流した。

21日目

イース


ああ、イース


やっぱり君は


僕の友達だった


大好きだよ


だから


君も僕が大好きでしょう?
 
22日目

フョードルはグリゴリが怪我をしているという事は理解できた。
グリゴリが死ぬかもしれないという事も、死という概念も理解できた。
そして、怪我は必ずしも死に直結するものでもない事も理解していた。


フョードルには死に至る怪我と、命を繋ぎ止める怪我の違いが理解できなかった。


もっと賢くならなければならない、と思った。
物事を理解する力が無ければ、今何が必要なのかも理解できない。

 
24日目

「おい、グレイマン。医者の伝手とかねえのかよ。
あれがサクッと目覚めるような。」

「死霊術以外で。」


「…医者なら、何人か思い当たる顔はありますが、
それなりの腕で、此処にいれてもなんとかなりそうな奴ってなると、
ひとりぐらいしか思いつきませんね。」

「連れてきてもいいなら、声をかけてみますが、
連れてこられるようなのは大体ろくでなしですよ。」

「……腕だけはまともって風情ですが、それでもいいですかね?」


「…仕方ねえ、取れる責任ならオレが取る。
呼んできてくれ。」

「あんたに聞いた以上は覚悟の上だ。」



*********



レグルスが皆に話をしているのを、エンブリオは椅子の下で聞いていた。
外から帰ってきた後に、疲れてそのまま椅子の下で寝入っていたが、人の声に目を覚ましたのだ。

すう、と音もなく浮かび上がり、そのまま静かに部屋を出る。
グリゴリの部屋まで辿り着くと、しばし父の顔を眺め、本棚に向かう。



グリゴリの部屋の本棚は、然程大きいものではない。
児童書とそれ以外――地図だとか、木工だとかの本で半々くらい。

エンブリオは、ごぷり、と吐瀉物を吐くように、泥で出来た腕を一本生やした。
腕は見る間に乾き、赤ん坊の丸々とした腕から、幼児のふっくらとした腕に変わる。
児童書の背表紙に触れる。本を取り出そうとして、取り出せずに、敷き詰められた背表紙のタイルを手が滑る。

んん、と不機嫌そうな声を出し、今度は本の上部に手を伸ばす。
ただ手を乗せて引っ張っただけの、雑なやり方に何冊かの本を巻き添えにして、ようやく目的の本を引っ張り出す。



目的のページを開く。
そこには白衣を着た男が、子供を診察している絵が載っていた。


"Врач"

「いしゃ…」


過去の父の話を思い出す。
医者というのは、怪我や、病気を治す仕事をしている者。

怪我や、病気。
寝床に伏せる父を見る。


「パパ、なおるの?」


返事は無い。返事は無いが、エンブリオにとって、それは関係なかった。
医者を見たことのないエンブリオは、それがまるでお伽話の魔法使いのように万能なものだと想像した。


「パパ、なおるんだ!」


布団に飛びつき、歓声と共に父に擦り寄る。
全てが上手くいく。医者が来るのだから。そう思った。



*********



しばらく父の側で幸せに浸っていたが、エンブリオは、この事を友達に教えなければ、と思った。
中庭に向かおうとグリゴリの部屋を飛び出す。
友達は大抵は中庭にいる。留守にしている時や、他の場所にいる時もあるけれど。
もうしばらくで中庭に到着するという時に、目的の相手と鉢合わせする。


「ふょーどる?」


「イース!」


中庭に辿り着く前に出会えた事が嬉しくて、相手の胸に飛び込み、その毛皮の柔らかさを堪能する。
体をこすりつけていると、勢い余って肩口から後ろに滑り出てしまう。
そのままふわり、と宙に浮き「ふふ」と笑った。



飾り紐を揺らし、イースの少し上を、踊るように飛ぶ。
るるぅ、と喉を鳴らし、イースは、いつものようにその紐にじゃれついた。

爪が飾り紐を揺らす。
まるで母親に髪を梳きといてもらう子供のように、エンブリオはくすぐったそうに身を揺らした。



「いまね!イースにあいにいこうとおもってたの!なかにわにいくまえにあえるなんてふしぎ!」


「わぁ、ふしぎ!」


「あれっ?そういえば、イースはどこかいくところだったの?」


「うん、おさんぽ!」



エンブリオは、しばらく普通の散歩に出ていない事に気が付いた。
グリゴリが倒れてからは、父のためになるものを探すためにしか外出していなかった。
とっておきの話は、もう少し勿体ぶって話してもいいかな、と思う。


「じゃあ、ぼくもいっしょにいっていい?」


「うん、いこう!」


エンブリオは、久しぶりに以前のようなうきうきとした気分で、イースの少し前を先導するように飛んだ。



(Eno954 イースさんの日記に続きます)